追記:9月30日

以下のようなコメントが入りました。ご本人によって消されてしまうとよくないので、スクリーンショットにて保存します。
id:DOSSなるこの人は日記を利用していないのですが、ここの日記にコメントするために(はてなユーザーに限定しています)はてなidを取得されたのでしょうか?





あとこの方が「質問に質問で返して自分の意見を絶対に言おうとせず、コメント欄がぐちゃぐちゃになって終わる」という展開も予想されますが、もしそうなったらそうなったで対処を考えましょう。逃げちゃだめですよ>DOSSさん。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 を観てきました。

はげしくいまさらですが、逆にもうネタバレとかあんまり気にしなくていいかなと。
以下、ネタバレありです。いちおう注記しておきます。






竹熊健太郎さんを筆頭に、森川嘉一郎さん、東浩紀くんといったエヴァ番長のみなさんの感想をたっぷり聞いていたので、なんだかもう観たような気になってたというのが正直なところだったのです。


結論からいえば、良かったです。とても。
昨晩、吉祥寺バウスシアターでみたんですが、思ったよりも客層が広く、中学生から60代までいる印象。意外なくらい「いかにもオタ」という風体の客がいない。カップルもいる。メジャー化とはこういうことかと思いました。
出だし20分くらいは「何だこの雑なダイジェストは?」と思いかなり白けていたんですが、二番めに出てきたエビみたいな使徒(第四使徒シャムシェル)戦あたりから身を乗り出し、クライマックスであるヤシマ作戦のころには素で「シンジ君がんばれ」と思っていました。


実のところ、今回はすっかりミサトさんの気持ちでみていました。
そうなったのは、こちら側の心境の変化が大きいですね。ミサトはシンジを保護し、叱咤激励してどうにかエヴァに乗せるわけですが、その姿に共感したのは、たぶんぼくが「先生」になったからじゃないかと思いました。かつてはとにかくシンジくんへの共感(と萌え)が卓越していた自分が、いつの間にか碇シンジの母でございます」てな気持ちになっていたことにはしばらく前から気がついてましたしw


もっとも、映画の作りのほうも(これは詳しく検討してませんが)、たぶんシンジ君の心情にぴったり寄り添うというよりも、少し突き放して彼の心情を「見守る」というセンスが入ってきているように見受けられました。
その分、彼の感情のたかまりはより冷徹に描写されているように感じられ、この点がテレビ版との最も大きな違いではないかと思います。
たとえば、シャムシェル戦でミサトの指示に従わず、プログナイフを構えて突進するシンジ君/初号機のシーン。事が終わったあと彼がレバーを握ったまましゃくりあげる描写は、たしかテレビ版(と、以前の映画版)ではなかったと思います。またヤシマ作戦のあと、綾波のプラグのハッチをこじあけたあとの会話。有名な「笑えばいいと思うよ」というセリフの前にシンジくんはやはり俯いて泣き出します。これもたしかなかったはずです。綾波とのやりとりは、今回ののほうがぐっと胸に響きましたね。
その直前に泣きじゃくる描写が入ることで「(こんな情けないぼくを)笑えばいいと思うよ」とも受け取れましたから。そして、綾波のあの笑顔でそんな自罰的な気分が吹き飛ばされるという、いいシーンになっていました(アヤナミスト大泉実成さんは別の意見かもしれませんがw)。


いずれにせよ、一連のシンジ君の「泣き」は、感情の激烈な表出のあとにやってくる正体不明の涙でしょう。
いまぼくは、「正体不明の涙」と書きました。言い方をかえれば、喜怒哀楽のどの感情にカテゴリーされるかもよくわからない、とても身体的な「涙」ということです。だからそれは、一歩退いた冷徹な視線にこそとらえられ描写される。上にあげた二つの「泣き」が、どちらも顔の見えない構図で描かれていたことにも注目すべきでしょう。


あと「今回のミサトさんは、前回のミサトさんよりも成長してるなー」という、妙な見方も同時にあったわけです(前回はシンジ君に触れることもできなかった彼女が、今回はしっかりと手をつなぐ)。これなどまさに「ゲーム的リアリズム」といっていいと思うのですが(その意味では、最後にチラと出てくるカヲル君は明確にプレイヤー視点を持っていた)、今後それがどう展開していくかですね。いずれにせよ、いろんなレヴェルのものが何層にも折り重なっている作品なので、一筋縄でいかないことは変わりがありません。




でもまあ、嬉しいですよ。
こういう形でエヴァ再帰してくれたことが。
10年前には「いまエヴァで騒いでいる連中は、絶対に10年後恥ずかしくなる」と冷笑していた第一世代オタクのひとがずいぶんいたんですが、しかしそうはなりませんでした。むしろエヴァははっきりメジャー化し、当時揶揄的なことばかり言ってた論者はどんどんだめになっています。
そしてこの10年の間には、『動物化するポストモダン』もその2もあり、『戦闘美少女の精神分析』も網状言論も波状言論もあり、スーパーフラットヴェネツィアビエンナーレのおたく展もあり、もちろんテヅカイズもあったわけですから。