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連休中は過眠症で倒れ、明けてからは酷い肩こりと頭痛、そして昨日からは胃痛まで出てくる始末。
70年代「子どもにとってよいマンガ」という思想の一例
石子順『子どものマンガをどうする パパ、ママ、先生まじめに考えて』(清山社 1976)を読む。
石子順といえば、呉智英に「ペテン師」「代々木の森のコウモリ」呼ばわりされ、現在ではほとんど顧みられることのない「マンガ評論家」だ。どの程度、顧みられていないかというと、まず著書が本当に古書市場に出ないし、むしろ100円均一のワゴンを探すとたまに見つかったりするというほどである(追記:「古本屋に出ない」というのは誤りでした。ちょっと検索をしてみたら結構出ている。けれど、評論家として顧みられていないのは確かなことです。実に多作なひとではあるんですが、本当に研究者も評論家も、ほぼ誰も参照していないといっていいでしょう)。
主に研究者むけに作られた『日本マンガを知るためのブック・ガイド』(アジアMANGAサミット実行委員会 2002)では、手塚治虫のインタビュー集『手塚治虫 漫画の奥義』が紹介されているに留まっている。そこで与えられている評価は、「手塚が、評論家というより愛読者に徹した石子に警戒心なく語っている」「漫画史を巡る事実関係や手塚の漫画観だけでなく、石子が引き出そうと試みた「手塚さんの肉声」の語り口を楽しめる」というものだ(レビュアーは京都精華大学マンガ文化研究所の吉村和眞)。もちろん、この本が「ブックガイド」に選ばれているのは、手塚治虫の発言集という価値ゆえのことである。
なお、石子順と『現代マンガの思想』などで知られる石子順造は別人。「石子順」というペンネームは、いまでいえばぼくが「宮本大」とか「東浩」とか名乗るようなものだ。あるいは「夏目戻之介」ってなもんか(笑)。石子順造が1977年に亡くなってしまったという事情もあるので、例えとしては微妙かもしれないが、しかし石子順は石子順造の生前からキャリアをはじめていたわけだから、およそこんなもんだろう。
さて石子順の批評軸は、共産党/日教組系左翼の「良識」にぴったり寄りそったもので、独自の論旨はあまりない。文章も冗長ときている。呉さんがあれほどコテンパンに叩きのめさなくても、顧みられなくなるのも仕方がないとは思うが、それでも一定の需要があるらしく、代々木の共産党の横にある書店に行くと、新刊を見つけることはできる。
などと書くと、ぼくも呉さんの尻馬に乗って石子順を断罪しきっているように見えてしまうが、必ずしもそうではない。まぁおよそぱっと見、褒めるところのあまりない人なんだが、しかし、この人にはこの人なりのモチベーションがあってマンガについて書き続けているのは確かなことだし、すべての仕事が参照されなくなっているというのもよくない。
そこで、少なくともその動機の部分を見ることはできるんじゃないかと思うわけだ。また、この人にとってマンガの何が「自明視」されているか?を丹念に追っていくという作業から得るものは間違いなくあると思う。なぜなら、彼はマンガを排斥し否定しようとするPTA的な「良識」の側に立ちながら、総体としてのマンガを擁護しようというアクロバットをしているからだ。
もちろん、この立ち位置のねじれが、呉智英をして「コーモリ」といわしめているし、また「いいマンガ=子供を健全に育成するマンガ vs よくないマンガ=子供を歪めるマンガ」という図式にすっぽり嵌まり込ませていることも事実だ。この『子どものマンガをどうする』もそうで、昭和40年代はじめに流行した戦記マンガを断罪したり、さまざまな作品を強く批判した上で、親たちにマンガを頭から否定して、見ないのではなく、読んでみて、親子で話し合ってほしいと提言する。さらに、重ねて「マンガをたかめる運動」を提唱するのである。
ここで注目すべきは、「読書運動でもマンガの研究を」「マンガのブック・リストを作りたい」「漫画批評の日常化を」「漫画雑誌の編集者、漫画家との対話を」……と建設的な主張していることだ(「漫画」「マンガ」の表記不統一は、原文ママ)。
一見すると石子順は、マンガ家や業界の側の「自浄作用」に期待をし、反面、マンガを排斥する勢力に対しては「こんなに良質なマンガもあるんですよ」と説得することに終始しているようにみえる。このへんから話が少々ややこしくなってくるのだが、この方法論は、実は彼の「方便」だったのではないかという気がしている。ひょっとしたら、うるさいPTAや日教組をうまいこと丸め込んで、マンガの発展を促すことを意図したのかもしれないと思うのだ。もっとも、そこで石子順が考えた「発展」とは、やはり当時の左翼教師的な「良識」を本気で信じてのものであることも考えられるのだが。
じじつ、石子順は本書でアメリカの「コミック・コード」を礼賛し、昭和35年に「先生たちや評論家たちが参加している「よい本をすすめる会」(阪本一郎・村岡花子・山本藤枝・菅忠道・三石巌・滑川道夫)と「読書指導研究会」がまとめた結果」を引用している。これを「漫画評価の「ものさし」の見本」として提示しているのである。少々長くなるうえに「孫引き」だが、ウェブ上に資料を残す意味もあるので、この「ものさし」をテキスト化してみることにしよう。
漫画評価の基準
a 表現
1 印刷・紙質・割付 2 絵・色彩 3 ことば・文字――正しい国語を使っていないもの。美しくないことば、下品なことば、表記上のあやまり等のあるもの。
b 社会観
4 慣習・制度の否定――良識に反して民主主義社会に生きる慣習や制度をむやみに否定したり破壊したりするもの。
5 思想(歴史観)の不当――時代の歴史的解釈を誤っているもの。民主主義の思潮に反するもの。
6 戦争観の不当――戦争を肯定的に扱い好戦的な思想を植えつけるおそれのあるもの。国際理解をゆがめ、世界平和を軽んずる扱いをしたもの。過去の戦争を不当に美化したり、茶化したりするもの。誤った英雄主義を植えつけるもの。
c 人間観
7 人権の無視、差別観――人権を尊重しないもの。身体・貧富・性別・人種などによる不当な差別感(原文ママ)に立つもの。
8 不当な人間関係――人間相互の間の好ましくない摩擦を強調したもの。不和・憎悪・反抗・敵意・復仇・まま母等を不当に描いたもの。
9 権威の愚弄――法律によって職務を遂行する者を不当に無能ぶりを強調して扱ったもの。親・教師・警察官等を茶化し愚弄したもの。
d 生命観
10 生命の軽視――人間や動物をむやみに殺傷することを描いたもの。
11 残虐行為――人間や動物に苦痛を与える場面を誇張して描いたもの。子女の誘カイ・ゴウ問・セッカンなど、児童の虐待・酷使を無批判に扱ったもの。
12 殺人の描写――殺人の方法や手口を詳細に描き、模倣されやすいおそれのあるもの。死体や流血を過度に写実的に描いたもの。
e 不良性
13 犯罪・犯罪的行為の手口――犯罪や非行の方法を詳細に描き、子どもが模倣するおそれのあるもの。
14 暴力・悪意の否定――暴力による闘争を描き、たとえ正義の側でも暴力によって勝つことを結末としたもの。悪謀をいだいた者が、最後には失敗するにしても、成功をおさめる過程を肯定的に扱ったもの。犯罪者を英雄視し、魅力的に描いたもの。
15 性の暴露―性的な問題を興味本位で扱ったもの。性的なふくみを暗示するもの。
f 刺激性
16 不当な催涙性――むやみに悲哀観を強調して子どもを悲しませようとするもの。加虐的な意味を言外ににおわせたもの。
17 下品なくすぐり。
18 過度の怪奇、恐怖。
g その他
19 科学性の無視、誤り――合理性を不当に乱しているもの。
20 子どもの程度の無視――表現形式もしくは内容が読者対象たる子どもの発達程度を無視しているもの。
<とりあえず、ここまででアップします>