藤原カムイの「女性」誤認について

昨日のコメント欄で、次のように書いたところメールにてご指摘をいただきました。

そういえば藤原カムイは昔、誤って「女大友克洋」っていわれてたことがあったらしい(大塚英志が勝手にそういってただけだったらどうしよう)。



これは、84年に永山薫さんが書いた無記名記事のキャプションのことでした。
メールをくださった方は、この件について永山さん自身が書いた文章をテキスト化してくれました。ありがとうございます。以下にそれを引用させていただきますね。

「宝島」も村松恒平VOW渡辺祐が担当だった頃は楽しかったんだけど、その後は「漫画評論なんていらないんじゃない? 漫画なんて読めばわかるんだしぃ」という評論と解説の区別もできない困ったちゃんとか、打ち合わせをスッポカシまくる野郎とかが担当についてウンザリしてしまったのでした。
一番ウンザリしたのが藤原カムイが白夜から初単行本「デ・ジャ・ヴ」(84)を出し、渋谷のまんが書店(しかし、昔の漫画専門店って態度デカかったよなあ)でサイン会やった時のコト。俺は取材で行ったワケなんだけど、俺が撮影した「あまりにも美形な藤原カムイの写真」を見た件のスッポカシ野郎が馬鹿な勘違いをして、俺に一言も相談せずに「オンナ大友(!?)藤原カムイ」(84年2月号)なんて侮辱的なタイトルをつけたため、無署名原稿とはいえ関係者の間では完全に俺の立場がなくなってしまったのだ。おいおい、藤原カムイの商業誌デビューは「マンガ宝島」だろーが…。これが有名な「藤原カムイは女」事件であり、かがみあきら(あぽ)が亡くなった時(84年7月)、やはり取材に行った「ブリッコ」編集部で俺は大塚英志に「カムイさんかなり怒ってましたよ」と例のギョロ目で睨まれてしまったのでした。


塩山芳明『嫌われ者の記 エロ漫画業界凶悪編集者血闘ファイル』 巻末解説 一水社 1996





……そうでした。たしかこの話は永山さんから直接きいたこともあったんだけど、すっかり忘れていました。面目ないです。
ただ、大塚英志もこの件について言及した原稿をどこかで書いていたと思うのだけれど……。



とつぜんですが

かつて国公立大学を受験したひとって、自分の共通一次(や共通テスト)の点数っていつまででも憶えているもんなんでしょうか? かなり情けないことにぼくは20年経ったいまでも憶えている。さすがに科目ごとの点数はだいたいしか記憶にないけど、自己採点の合計はばっちり憶えている。消せない記憶なのです。


はてな共通一次点数出しをいっちょやってやろうという御仁はコメント欄にでも。ぼくはそんな痛いことに参加しませんけど(←卑怯w。