そうか、21世紀はこうか!

911からもう三年か。はやいなあ。

あの日、id:kocteauからの電話で事件を知った。「網状言論」の公開討論の本番前で、発表用原稿を書いていたか、なにか本を読んでいたと思う。とにかくテレビを見ろというのでNHKをつけた。とっさに新作映画の紹介だと思った。次の瞬間には事故だと思った。友達にもしらせないと、といって電話を切り、まず東浩紀くんに電話をした。電話に出た彼は仕事を中断されたらしく、とても不機嫌な様子だった。いいからNHKかテレ朝を見てくれ、というぼくの言葉にしぶしぶテレビをつけ、すぐに態度がかわった。「……テロだな」と鋭く一言いい、「そうか、21世紀はこうか!」と叫んだ。そしてひとしきり早口で情勢の分析を語った後、「じゃ、友達に電話をするから」といって電話を切ってしまった。その「友達」とは阿部和重氏だったと後で知った。




あの夜、こういう電話がずいぶんと飛び交っていたと思う。
ぼくはその後、明け方近くまでテレビを見ながら、元カノと電話で話をしていた。WTCに突っ込む瞬間の実行犯はどれほどの恍惚を感じていただろうとか、それを想像すると寒気がするとか、そんな話をしていた。眠れなくなっていた。これから世の中どうなるんだろうと思った。その時点では、まだパレスティナ犯行説が有力だった。


ちょうど、コロラド州デンバーで鉱物化石展示即売会が開催中だった。鉱物化石標本店がこぞって買い付けにでかけていた。例年のことである。ホリミネラロジーの井上君は一足早く現地入りしていたので難を逃れたようだったが、京都の大江理工社はアメリカに入国できず、プラニー商会と小室宝飾の一行はテロ発生時、太平洋上の機中だった。ロスに降りるはずが、何のアナウンスも無いままにバンクーバーまで連れていかれたのだという。そして、数時間にわたって機内で待機をさせられ、犬を連れ、自動小銃を持った兵隊に促されて空港に降り立った。その間、なにも説明はなく「戦争がはじまったに違いない」と思ったのだそうだ。彼らは国境封鎖の寸前、バンクーバー-シアトル間のハイウェイ・バスでアメリカに入国、シアトルで足止めを食うことになる。その時点で国内線のフライトが禁止されていたからだ。


この翌年から、アフガニスタン産の石は極端に値が下がった。しかし、値が下がったのは旧ソ連国境に近いバダクシャン州のものばかりで、カンダハル近郊から出たという紫水晶の日本式双晶だとか、クンツァイトやリチア電気石は本当に見かけなくなってしまった。なんといっても、オサマ・ビン・ラディンのビデオを見たら、背後の崖にガマを抜いた跡とペグマタイトの脈がはっきりと映っていたくらいだから。あれは宝石か鉱物標本用に結晶鉱物を採取した跡だ。そうした鉱山か鉱山跡を利用していたのだろう。アメリカの地質調査所は全世界の地質を把握しているから、あのビデオだけで概ねの場所の見当はつけられた筈だ。おそらくリチウム・ペグマタイト、花崗岩体のルーフか縁辺……絞り込むには十分すぎる情報だと思う。そういえば、ソ連のアフガン侵攻のころ、アフガニスタンのリチア電気石は「アフガン・ゲリラの資金源」といわれていた。