m9

買ってきました。
いまどき鶴岡法斎に依頼するあたりに、編集者の手抜きというか、見識&センスのなさを感じてスルーしていたんですが、ココロ社id:kokoroshaさんと、しろうとid:sirouto2さんの原稿が面白そうなので購入。これから読みます。
参考:http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yanataka/manga.html


m9(エムキュー) (晋遊舎ムック)

m9(エムキュー) (晋遊舎ムック)





※追記:ある方から、鶴岡法斎氏には「今は個体認識できるほど存在感がない」というコメントをいただきました。そうか、そういえばそうだな。となると、これ以上はいじめてるみたいになるかもしれないが、まあ「宿縁のある」間柄だそうだから、多少ネチネチやらせてもらうよw。


もっとも、記憶に基づいて一方の立場からものを書くのだから、できるだけ穏やかに書くことは心がけようと思う。またこれをこうしてブログに書いても、おそらくはぼくには何のメリットもない。むしろ昔の話を蒸し返さなくてもいいだろう、と言われて批判されるほうがありそうだ。でも、やはり記しておいたほうがよいと思った。
なぜならば、彼を見ていてぼくが学んだことは、多少なりとも若い編集者やライターのひとに役立つかもしれないからだ。


まあ、鶴岡は11年前、オレのインタビューを取って、チェック後に文章を改竄して掲載したうえ、パルコ木下氏にオレが言ってもいないこと(ニュアンスの問題だが、中学生程度の読解力で分かるような、おそらく意図的な間違い)を伝え、それについて否定的なコメントを引き出したり、唐沢俊一にこちらのインタビュー(もしかするとテープ起こし)を読ませ、それに追いかぶせるようなコメントを載せるようなアンフェアな真似をして、読者にネガティヴなイメージを持たせるような操作をしたのだから、それに比べたら実に可愛いものです。


さて、ここ十年ほどの鶴岡のウェブでの日記やら何やらも見ていて、そのうえで今回「m9」を見たのだけれど、本当に、まったく進歩のない男だと思った。基礎的な学力もなければ思考能力もなく、ハッタリとレトリックでどうにかやってきた者なので仕方ないのだけれど、かつてはそこそこ仲良くしていたこともあるし、もしかしたら見所のある人かとも思い、いくつか出版社を紹介したこともあったわけですよ。


物書きの才能というか商品価値というのは、個々人の力量だけでなく、そのときどきの状況の関数でもあるので、その時点(96〜7年ごろ)は、あの男にも多少の需要はあった。しかも、奴はハッタリがなかなか上手く、「このひとはいろんなことを知っているし、何か大きなことをしてくれそうな雰囲気がある」と思わせる手腕は大したものだった。それが単なるハッタリだというのに、ぼくなどはなかなか気づかなかったのだ。


最初に会ったころの鶴岡のハッタリはすごかった。椹木野衣よりも現代美術に通じ、松沢呉一に古本の手ほどきをした23歳、というのが彼自身の語りから得た鶴岡法斎像だった(後に松沢氏に尋ねたところ、氏はただ呆れていた)。
それが、はじめて「こいつ実は大したことないんじゃ?」という疑念がよぎったのは、確か1997年の二月ごろだと思ったけれど、当時太田出版から出ていた「ギャンブル大帝」(だったか? 記憶なので多少自信なし)の企画で、カバラか何かオカルトでギャンブルの必勝法を云々といったページの書き手を探しているというので、鶴岡君がいいんじゃない? カバラでもオカルトでもずいぶん詳しそうなことを言ってたから、というので電話をして、これこれこういう企画なんだけど、どう? と振ったところ、どうにも電話口でしどろもどろになってる。このときに「あれ?」と思ったわけだ。


その後も、奴の原稿をいくつか見ていくうちに「あんなに博識でいろいろ経験もあるように言っていたけど、これは実は知識も何もないんじゃ……?」という疑念は少しずつ大きくなってきた。それでも、その疑念を押し込めていた。字数が少ないからこんなものなんだよ、とか。いつもいつも上手くネタを出せるわけじゃないんだよ、とか。
ところが、わりと決定的だったのは、当時知った自主テクノ(いまでいう同人音楽のはしりみたいな、アニメの声優声をサンプリングしてトラックを作っていたもの)を鶴岡に聴かせたところ、「これは×××の○○○に何々を乗っけただけでどうこう」(具体的な文言は忘れた)と、いまでいうマッシュアップみたいな手法で作られてて、特に機材などをそれほど必要としないのだ、と説明した。奴は音楽もやっていたので、そんなものかなと思ったんだが、後に制作者本人と知り合い、音作りの実際を知ると、これがまったくのデタラメだったのだ。


とはいえ、「デタラメ」と知ったのは、唐沢俊一と例の一件があり、一連の唐沢の妄言の尻馬に乗った鶴岡がトークライブなどでぼくの悪口というか誹謗中傷を言って回っているという噂が多少聞こえてくるようになった頃になってからだ。
そしてさらに鶴岡への評価を決定的なものとしたのは、もちろん『マンガロン』である。
これ以降は、彼がハッタリ野郎であるかどうかといったことを脇に置いても、じゅうぶんできる話である。むしろ、著作でいい仕事がされていたならば、それ以前のハッタリ・知ったかぶり話は、むしろ「ちょっといい話」になっていただろう。


『マンガロン』は、「早稲田大学の漫画史の教科書です」と帯にうたっておきながら、鶴岡自身の読書体験をただ平坦に綴っただけのもので、ほぼ、見るべきものはない。ただ、70年代生まれのマンガ読者に向けた、同世代性を持ったマンガ評論本が、たとえそれが批評もどきとしてもなかったので、鶴岡と同世代の編集者にはウケたようだ。それで彼は「SPA!」のマンガ書評も担当するようになった。


確かに「若いマンガ論者」というのは、当時(2000年ごろ)には、あまり注目されるような書き手がいなかった(静かに地道によい仕事をしているひとはいたが)、とくに70年代生まれ、20代というと稀少だった。そのためか、たとえばそのころ初めてお会いした呉智英さんからも、「鶴岡法斎をどう思う?」と尋ねられたことがあった。そのときにはあまり批判的なことを言うのもよくなかろう(実のところ、彼の書いたものへの自分の評価に対する自信のなさがあった)と「比喩の使い方がひじょうに上手いですね」としか答えなかったように記憶している。このように呉さんも当時は多少なりとも彼を気にかけていたようだし、永瀬唯氏が彼を評価し「スタジオ・ボイス」誌に紹介したという話もきいたことがある。
早稲田の非常勤にどういう経緯で決まったのかは詳らかにしないけれど、大学の中にときどきいる「大学という知の権威」を疑ったり、それに対抗することこそ学問のとるべき道、と考えるひとの実践が空回りして、最もどうしようもないものを引いたというケースかもしれない。真面目なカルチュラル・スタディーズのひとほど危ない、というあれだ。


いずれにせよ、当時の彼は「気鋭のマンガ評論家」という位置を取りかけていた。ところが「SPA!」の書評も、たとえば『ブラックジャックによろしく』の一巻を扱ったときだったと思うけれど、これ読まずに書いてないか? というものが見られるようになり、そのせいかどうか止めてしまう。ちなみに、マンガ書評を読まずに書いてるんじゃないか疑惑は、「師匠」の唐沢俊一にもある(そっちが気になるひとはまとめwikihttp://www13.atwiki.jp/tondemo/pages/45.htmlを参照)。


紙媒体での鶴岡の仕事は、このへん以降あまり見ておらず、今回の「m9」は久しぶりではあった(メディアファクトリーコミックフラッパー」でも連載を持ってるそうだが、そちらは未見)。変わってねえな、と思った。


さて、ここでようやく鶴岡との交際を経ての「教訓」になるんだが、それは「誰かいい書き手はいませんか?」と問われたときの対処についてだ。
とにかく、ひととの個人的交際のみで誰かを編集部に紹介することはしない、という、きわめて当たり前のことだ。その相手の書いたものをよく読んで、それから判断するということだ。そうでないと、この手の社交能力や自分の売り込みや知ったかぶりに長けた人物の手管にうまうまと乗ってしまうことになる。一度、そうした目くらましをされると、書いたものが多少よくなくても、「まあ、毎打席ヒットを飛ばせるわけでもないしな。まだまだこのひとにはポテンシャルがあるだろう」と好意的に解釈してしまい、余計に引っ込みがつかなくなるということにもなりかねない。


これは、ぼくが書き手だからこのような判断基準を持つということであって、編集者のひとにそのまま当てはめることはできない。雑誌には埋め草的なページや、毒にも薬にもならないページが必要だったりするし、代替がないなどの理由で、本心では「ダメだし」しながら、それでも黙って使い続けるというケースもある。
今回の鶴岡の登用も、そういう判断かもしれないのだが、そうでもない感じがする。
あるいは、鶴岡のだめさ加減を知っていて、それでも「こんなにダメでボンクラでもこうやって文筆の仕事が出来てるんですよ」という姿が、あるメンタリティの読者の癒しになるという意味で需要があるという計算なのかもしれない。「オレは自分のことを学歴もなくイケてない奴と思ってるが、鶴岡さんだってちゃんとやってるんだ、オレも何とかなるかも」と思わせるという商品価値だ。まあ、すごくネガティヴな人生応援歌ですね。


とはいえ、担当者氏がもし彼を本当に買っていて、何かしらの期待をしているのであれば、どうか、彼を引っぱたいてでも何でもして、オレにこんなことを書かれなくて済むような良い仕事をさせてやって欲しいと思う。それこそ、編集者の腕の見せどころだと思う。
やればできる子だと思いますんで。


※「鶴岡法斎の放浪都市」 http://blog.goo.ne.jp/t-housai
 「誰でもオタク系ライターになれた。いまは無理」
  http://blog.goo.ne.jp/t-housai/e/679bfbafbda944df09e2700fddb57b16


※追記の追記:あとねえ、唐沢俊一がブログをパクるわ、一方で鬼畜を気取ってるクセに実はヘタレだわ、という体たらくになっていった(元からそうだったという話もあるが、程度が悪くなっていったとはいえる)背景には、鶴岡の悪影響もあるような気がするんですよ。
実際はどうだったかはともかく、鶴岡って不良っぽい感じがするんだけど、一方の唐沢には、どこかお坊ちゃんが無理して不良を気取ってるような面があるでしょう。そこに、より「ホンモノ」っぽく見せてる鶴岡が来て、何かとヨイショしてくれるものだから、だんだん引っ張られていったというのはあるんじゃないかと思ってる。


※追記の追記の追記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=791414744&owner_id=7401
BB氏(多根清史氏)のミクシィ全体に公開友人の友人までの公開)で、こういった反応が。消される可能性もあるので、スクリーンショット推奨です。
唐沢俊一ウォッチャーの皆さんには、彼本人が空虚な笑いを演じて見せているところが観察できます(「裏亭」というハンドルで「あはははは、BBさん意地悪〜。」と一言コメントを入れているのが唐沢です)。
しかし、このBBというひとも「イジられるのが有名税」というのなら、唐沢氏をいじったらどうなんでしょうね。オレなんかよりよほどネタも豊富だし、何倍も有名でしょう。テレビには出ているし、天下の朝日新聞書評委員です。
それにしても、実に牧歌的なやり取りです(唐沢も、自分の「弟子」がここまで強く批判されてるんだから、少しは擁護を試みたらどうなのか)。彼ら自身の狭い世間だけが社会だと思っているかのようですね。想像力が足りません。すでにこのエントリーの一部は、2ちゃんねる唐沢俊一スレにもコピペされています(http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1208837414/)。


BB氏は「鶴岡原稿どうこうよりも、wktkの目が期待する通りの反応をする本人が面白がられてることにピンと来ないgoito-mineralさんに萌える! 」と言われていますが、ここでこのように唐沢の空虚な強がりめいた振る舞いを晒すというぼくの行動も「期待通り」なんでしょうかね。後だしで「期待通り」と言ってみせて、上位を取ろうというさもしいハッタリでなければ、そうなります。
すると、BB氏にとっては、こうしてまた唐沢俊一が晒され(このブログの読者には出版関係者も多いです)、笑いものにされるだけでなく、彼の問題がまたひとつ掘り下げられてしまうことも、ご自身の「期待通り」ということになります。
なるほど「意地悪」の向く先は唐沢氏だったのか。味方のふりをしてざっくりと刺す。唐沢氏の利益になろうが不利益なろうが精神的な負担になろうが知ったこっちゃないという態度。
BBさん、なかなかの策士とお見受けしましたw