唐沢俊一による文章”盗用”疑惑事件、最悪の展開に。

唐沢俊一まとめwiki
http://www13.atwiki.jp/tondemo/
(2008/02/05追記)



http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_604f.html


6月初旬の発覚以来、交渉が続いていた漫棚通信さんと唐沢俊一氏・幻冬舎ですが、最悪の展開になったようです。
この後、漫棚通信さんがどうされるのかはわかりませんが、ともあれ、疲労されないようにと思っています。
唐沢氏や幻冬舎は、わざわざ話がこじれるように、こじれるように持って行っているふうに見えています。
彼らは、一体、どういう解決を望み、何をしたいのでしょうか?




以下、申し訳ありませんが自分の話です。
実はこのブログで自分から話題にするのははじめてなのですが、私は9年前、唐沢俊一らを名誉毀損で提訴し光文社「小説宝石」などに謝罪文を掲載させることで”和解”しております。
「和解」というと、双方話しあって仲直りしたみたいに思われがちなんですが、当時の状況では、判決まで持っていくよりも「和解」のほうが強い要求が可能なので、そうしたというだけです。名誉毀損裁判で、損害賠償など強い判決が出るようになったのは、この裁判の数年後のことです。いまとは裁判所の常識が違ったのですね。


裁判の記録については、ずっと「塩漬け」状態のサイトで公開し続けてきました。
後の誰かの参考になること、役に立つことがあると考えてきたからです。また、ここ約10年間にわたり、当時唐沢氏が言いふらした嘘八百を真に受けてきた人々に悩まされてきたということもあります。
なかには、あちこちでしつこく、しつこく「あの程度の謝罪で喜んでいるなんてバカだ」といった内容のことをずっと言い続ける人もいました。名誉毀損裁判の実際について知らない無知がそうさせているのですが、そうした人たちにも、相当に唐沢氏が吹聴したイメージの影響はあると思います。
そうした人に対し、こちらから何も言わなかったのでは、彼の言う「嘘八百」があたかも事実であるかのように定着することになってしまいます。




とはいえ、唐沢氏の言を信じてしまっていたひとの非を直接に問うことはできません。
もちろん、ぼくにも隙はあるし、多少はとやかく言われても仕方がないかという部分はあります(このエントリーにしたところで、罵倒や揶揄にさらされるでしょう)。それに、多くのひとは、単に情報をあまり持っておらず、唐沢氏の言うことを素朴に真に受けてしまっただけにすぎません。こいつは嘘をつく、この男は自分に都合のいいように事実を捻じ曲げる、という前提で相手を見たり、本を読んだりすることは、普通に考えてあまりないでしょう。
少なくとも、唐沢氏は一定の評価をされ、信頼もされ、場合によっては尊敬もされていたのですから、なおさらです。まさか、そんなことが、と思うのが普通だったと思います。


じじつ、ぼく自身、かつては唐沢氏の言を真に受け、彼と論争になっていた松沢呉一氏のことをよく知りもしないで悪く思っていました。当然のことながら、ぼく自身も他人を責めることはできません。




今回の漫棚さんの一件について、いま公開の場で助言めいたことをするのは避けておきます。
ぼくの側からそうしたことを言って、漫棚さんの負担になることをおそれます。
ただ、今後おそらく唐沢氏は自分の都合のよいように事実を捻じ曲げ、あちこちで酒の肴に話をしたり、あるいはそれとすぐには分からないような形で書いたりするのではないかと予想します。
彼が本当の意味で「反省する」日はおそらくやってこないでしょう。「反省」とは、行動を深いところで規定する無意識的なもののフォーマットの書き換えです。相当にヘヴィなことです。それゆえひとは、同じような過ちを繰り返しがちです。
だから、ぼくの記録が、漫棚通信さんや今後唐沢氏との間で嫌な思いをさせられた誰かの役に少しでもたてば幸いだと思っています。
それは、もしかしたら、万が一にでも彼の「反省」があるかもしれないという、ごくわずかな、消え入りそうな希望でもあります。




http://www.t3.rim.or.jp/~goito/indexx.html
裁判を記録した旧サイトです(2000年からこっち、全く更新していません)。
ここに書かれている見解は、00年当時のものであり、いまからすると岡田斗司夫氏の「オタク・イズ・デッド」を予見していたかのようにも見えますが、同時に、唐沢氏のパーソナリティの問題と、彼らが自らを「オタクである」と規定する自己イメージの問題を弁別せずに語っている嫌いがあります。その点に関しては自省するとして、しかし、自分でも忘れていたような細かい展開が記述されていて、少し驚いています。はっきり言って、当時は相当たいへんでした。精神的なストレスも大きく、また経済的な負担も大きかった。
何よりこれからライターとしてやっていこうという矢先に、いい加減な、実像と違う(どちらかというと、唐沢氏の内面、心の影を勝手に投影したような)像を流布されたのですから。これは普通に考えて営業妨害というものでしょう。


そんななかでの裁判は大変でした。また裁判の結果そのもので得られたものは大きくありませんでした。でも、たとえ結果そのものは小さくても、少なくとも自分は黙ってはいなかった、不正を不正として公に示したという意味では、裁判に踏み切ってよかったと思っています。
もしあのとき、提訴を断念していたら、いまの自分はなかったでしょう。鬱屈し自己評価の低いままでくすぶっていたと思います。下手をしたら、この世にもういなかったかもしれません。


このブログをはじめて約4年、「唐沢俊一」なる固有名詞を書くのは、これがはじめてです。ぼくにとってブログとは、自分の家みたいなものですから、そこに不快なものを置くのは、やはり嫌でした。また、ことさらに言及する必要もないと思っていました。今後の展開は見守らせていただきますし、必要があれば何か言及するかもしれませんが、できることなら、これで最後にしたいところです。本当に、二度とゴメンです。


※タイトルに「疑惑」といちおう入れているのは、栗原裕一郎さんid:ykurihara のサジェスチョンによるものです。http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/comment?date=20070718#c