中野晴行『謎のマンガ家・酒井七馬伝』

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影

謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影



快著『マンガ産業論』の著者として知られる中野晴行さん http://www2.diary.ne.jp/user/67936/ の新著です。
さきほど、アマゾンから届きました。これから読みます。
まえがき的な「発端―または酒井七馬の墓に参ること」だけパラっと読んだところなんですが、いきなり引き込まれますね。


酒井七馬」をご存知ない方のために説明をしておくと、1947年(昭和22年)刊行の『新寶島』の、手塚治虫との共著者です。
『新寶島』とは、いわゆる「戦後ストーリーマンガ」の「起源」とされてきた作品です。
はじめてマンガに「映画的手法」を取り入れた作品と信じられてきたものです。そのことをもって「革命的」といわれてきました。
たしかに、藤子不二雄石森章太郎といった戦後のある世代のマンガ家たちが、この時期の「手塚治虫」を見、その衝撃が後に彼らをマンガ家という道に導いたことは事実です。また、そうした「手塚ショック」を基盤とする蓄積が戦後マンガの歴史を築いたことも事実としてよいでしょう。しかし、ここでは詳しく記しませんが、そう簡単に『新寶島』=戦後ストーリーマンガの起源であると言ってしまうこともまた、できないのです。そこには、戦争によるマンガ史の切断があり、各々の当事者はそれぞれの限られた視界でしかものを語れないという限界があります。その結果、手塚を起源とすることを前提にロジックを組み立てると、マンガ表現の分析はできなくなり、表現史も書けなくなってしまいます。前提に問題があるため、ロジックもおかしくなってしまうという事態ですね。この、複雑に入り組んだ事情を、拙著『テヅカ・イズ・デッド』ではなんとか解き明かしてみたわけです。


まーぼくの仕事は脇へ置いておいていいんですが、とはいえ『酒井七馬伝』に「『新寶島』が本当に革新的であったかどうか、という詮索は専門の研究者の方にお任せするとして」(p.6-7)と書いてある以上、ヒトコト触れておく必要はあるかなと思いった次第です。そうすることで、この本が「酒井七馬」という固有のマンガ家の伝記であり、拙著のような本とはまた違ったアプローチでマンガ史に言及したものであるという意義を強調しておこうということですね。


では「酒井七馬」とは誰なのか。
先に記したように、『新寶島』の共著者にして、その後は消えてしまった「謎のマンガ家」というのが一般的な認識だと思います。逆にいえば、それ以上の関心がはらわれてこなかった存在ということです。
しかし、過去に竹内オサム大塚英志の論考でも言及されていますが、『新寶島』における手塚と酒井七馬の分担は現在からはよくわからず、手塚の仕事として「画期的」と思われていた「映画的技法」の少なくとも一部は、酒井七馬によるものだったのではないかといわれています。
また、後の酒井七馬には、コーラで飢えをしのぎ、裸電球で暖をとり、孤独のうちに餓死したという、一種、伝説めいたストーリーがありました*1。ぼくもそのように認識していたのですが、この伝記では、ご遺族などの証言により、この「伝説」がまったく事実と違っていたということもはっきりさせられています。であれば、次の関心はなぜ、このような過剰な「伝説化」が行われたのか?という方向に向かうはずです。一方、現在刊行されている「手塚治虫全集」収録版の『新宝島』は、70年代に手塚治虫が全面的に描きなおしをした版であり、酒井七馬の痕跡は消されています。
こうした、いささかスキャンダラスな側面ばかりではなく、戦前の酒井七馬がアニメーターとしてのキャリアを持っていたなど、手塚への影響関係を見るためにも、またマンガ史をとらえなおすという意味でも、重要なことが多々書かれている本なのは間違いがないでしょう。いろんな発見があるはずです。


というわけで、これから読みます。
宮本大人君のブログのほうで、この本のアマゾンでの順位を上げようという「運動」も繰り広げられているようですが、その一助になれば幸いです。
これからマンガについて何か企画を考えているTV局や雑誌の皆さん、オレの本は面倒くさいから読まなくても、この本はマストです。つか、番組一本はここから十分作れる内容だと思いますよ。



*1:この「伝説」は、手塚治虫『ぼくはマンガ家』にも記されている。広まったのはこの本以降かもしれない。