ゴセシケ

今朝の音楽はこれ。
ホント、オレはシンセがビコビコいってないとダメなんだなーと思う。

les liaisons dangereuses

les liaisons dangereuses



あれこれ前はジャケあったと思ったんだけどな。あとアマゾンの表記は間違ってて、アーティスト名が Liasons Dangereuses であります。


それはさておき、ゴセシケ
昨晩寝る前にふと思い出し、検索をかけていろいろ見てみた。
ゴセシケ」といわれただけで「ああ! あれあれ!」というひともおられると思う。
はてなキーワードにもなっているが、「子供のころ読んだSF作品」の思い出として、強烈に印象に残っているものランキング上位ノミネートだろう。


ぼく自身、多くのひとと同じく、岩崎書店刊の子供向け抄訳『合成脳のはんらん』でこれを読んだ。小学二年のころ、地域の図書館で読んでいる。『キャプテン・フューチャー』をはじめとして、同じシリーズのほかの作品もだいたい読んだはずだが、いまでも内容をしっかり憶えているのは、これと『合成人間』(ドゥエル教授の首)の二編だ。今回、検索してみて、このタイトルが旧版シリーズのときのもので、1976年に出た新シリーズでは『合成怪物』と改題されていることを知った。また原題は"The Cybernetic Brains"という。どんなお話かはこのページに詳しく書かれている。そう、このラストの哀切な感じがよかったんだよと思い出した。
http://sfclub.web.infoseek.co.jp/kodomomeisaku25.htm


この物語がむやみに印象に残っているのは、主人公たちがいきなり死に、脳だけ取り出されてコンピューターの部品として活用されるという展開と、自らは動けず、もともと生化学者であった彼らが、ラボのロボットをなんとか遠隔操作して「ゴセシケ」という小さなクリーチャーを作り出すところにある。この「ゴセシケ」のイメージが相当に強烈だったのだ。作中では「合成神経細胞群塊」と呼ばれ、それじゃ長ったらしいので略称として「ゴセシケ」と呼ぶことにしました、とある。


ゴセシケ
どうですか、この音。座りの悪い、居心地の悪い音。このネーミングを採用した翻訳者はすごいと思う。全国の子供たちの脳にものすごい勢いで叩き込まれる音だろう。
しかもゴセシケのヴィジュアルときたら、人のこぶしくらいの大きさで、白くてぶよぶよしていて、目がひとつだけついていたり、歯がついていたりする。
現在出ている新版のジャケのメインにゴセシケがいるので、貼っておく。


合成怪物の逆しゅう (冒険ファンタジー名作選)

合成怪物の逆しゅう (冒険ファンタジー名作選)



……昔の挿絵のはもっと強烈だったような気がするがどうなんだろう。
大森望氏も、ゴセシケのイメージに怯えた日の思い出を綴っている。
http://www.ltokyo.com/ohmori/gosesike.html


ぼくは大森氏のように怖がりはしなかったけれど(怖さのツボってのはひとそれぞれなので)、でも強烈に印象に残っている。そうそう、主人公がこのゴセシケを駆使して、なんかゴロツキみたいな男を撃退するくだりがあるんだけど、ゴセシケに噛まれたその男はゴセシケを「ペストのカエル」(だったか?)とか呼んでて、「ペストになるよう、ペストになるよう」とか言って泣いてたような気がする。ペストじなかったかな? とにかくなんか伝染病だ。舞台はワシントンなんだけれど、ちょうど伝染病の発生があって、主人公たちの操るゴセシケの奇怪な姿をみた人たちが病原体を運ぶ奇形のカエルだといって噂したとか、そういうエピソードだったと思う。
それと「正式名称」はあやふやにしか覚えていなかった。「合成神経〜」までは憶えていたけれど、そこから先はよくわからなかった。たぶん原文は英語の頭文字をつないだアルファベット四文字程度の造語なんだろうなと漠然と思っていた。作品を紹介しているページをみて、なるほど「合成神経細胞群塊」だったかと思い、であれば、Synthesized Neuron Cell Cluster 略してSNCCとか、Cluster of Synthesized Neuron CSN とかそんな感じだろうなと考えた。


ところが、正解は


なんと"frog" でした。


あと "thing" と呼ばれることもあると記しているページもあった。
どうも、原作では特別な呼称は出てこず「その中枢部は合成神経細胞の塊だった」みたいな描写が一文あるだけらしい(2ちゃんねるで見つけた)。だから強いていえば原文は "cluster of synthetic neurons" になるということだ。あと synthesized じゃなくて synthetic ですね。


となると、やはりゴセシケというすごい名前にしてしまった訳者の功績は讃えられていいだろう。
だって、そうでなかったら、これだけ人々の記憶に残るということはなかっただろうから。