『テヅカ・イズ・デッド』刊行一年

気がついたらテヅカイズ刊行からちょうど一年経ってました。
そうか一年かー(しみじみ)。結構あわただしく過ぎてしまったなあ。
自分にとっての変化は大きかったのかそれほどでもないのか計りかねているところがあります。
このあいだ紀伊国屋に行ったとき、どなたかのサイン会の貼り紙をみて「いいゴミブンだな、サイン会なんぞやりやがって!」とジェラしく憎く思ったんですが、その次の瞬間、「はっ! オレ、サイン会ここでやってんじゃん!」と気づいたのでした。そんなもんです。


とはいえ、少なくとも当初の意図のとおり、日本のマンガ評論の世界はひっくり返したな、とは思っています。
笠井潔『探偵小説と記号的人物(キャラ/キャラクター)』や、新城カズマライトノベル「超」入門』など、マンガ評論以外の隣接分野からのリアクションがよかったのも、この本の特徴でしょうか。とくに『探偵小説と〜』では、「キャラ/キャラクター」という概念を、哲学的に掘り下げた考察がなされています。あとマンガの編集者とかマンガ家の方など現場からの評価がよかったのも嬉しかったです。一方、いちばん反応が悪かったのが、団塊直下からオタク第一世代にかけてのマンガマニアを自負するような人々ですね。


竹内オサムさんなどは、制度的には「学者」ですが(同志社大学教授として高給を食んでおられます)、メンタリティ的にはむしろ創作系同人マンガ家君ですから、このカテゴリでとらえておくのが適切だと思います。
竹内氏の仕事に対しては、テヅカイズで、かなりの紙幅を費やして、彼が抱えた「困難」を見るという観点から、できるだけ丁寧な批判を試みたのですが、とても残念なことに、竹内さんはご自分への「個人攻撃」と受け取ったようです。論理的に読むことができなかった様子です。


彼はこの一年に二度、彼自身が発行している個人誌「ビランジ」で、テヅカイズに対して「批判」を展開していますが、およそまともに取り合えるような内容のものではないし、誰が読んでも支離滅裂なものなので放置しています。相手にするだけ時間の無駄です。彼の「自滅」につきあう必要はどこにもありません。
ホント、これ全文をテキスト化してウェブで発表したら、ちょっとすごいことになるんじゃないかという内容です。研究者生命を絶たれかねない、というのは大げさにしても、たとえばマンガ評論とか志してる高校生で、マンガ研究をやってる先生がいるから同志社受けようかなとか漠然と考えてる子だったら、速攻でやめるような代物でしょう。


たとえば、ぼくが「日本児童文学」という雑誌に発表された文章(竹内さんのと、宮本大人君のもの)を参照しているのに対し、そんな目につきにくい雑誌を、児童文学とは関係のない伊藤が参照しているのはおかしい、何か裏があると思う……なんてお書きになってます。でも竹内さんの脳内伊藤とは違い、現実の伊藤剛は「日本児童文学」を発行している日本児童文学者協会のシンポジウムに呼ばれたりしてるんですが……。
※「ビランジ」入手方法はこちらを参照。http://www1.odn.ne.jp/~ccu48870/birannji.htm 16号と18号に掲載されています。