花森安治と「暮しの手帖」展に行ってきました

行こう、行こうとずっと思ってて結局行ったのが最終日の夕方というダメ人間ぶりをさらしつつ、しかしいつまで経っても暖かくならないよなあ今年は、とぶつくさいいながら芦花公園にある世田谷文学館へ。
やはりぼくは小学校・中学校と家にあった「暮しの手帖」を読みまくった「てちょらー」ですから、今回の展示を見にいくのには、どこか自分のルーツを探るようなところがありました。


展示で、やはり圧巻だったのは花森安治による表紙原画や、割り付け用紙など。
ホントにこの人は企画から編集から執筆からイラストから装丁からレイアウトまで全部やっていたんだな、と実感しました。自分でも多少は編集者のマネゴトのようなことをやってもいるので、これがいかに大変なことかとあらためて気づいたというか。
暮しの手帖」が広告を入れなかったのは有名な話ですが、そのことについて語る文章(これも該当のページが読めるように展示されていた)のなかで、商品テストなどを自由に行うため、という理由よりも先に、誌面のすみずみまで神経を配ってレイアウトしているのが台なしになるから、という理由が挙げられているんですね。この徹底した美意識、やはりただもんじゃないです。


館の解説には「徹底して庶民の質実な暮しの視線に立った誌面づくりを貫いてきました」とあるのですが、「庶民の質実な暮し」というには収まらない、なにか過剰なものがあるんですね。なんというか「質実」という言葉も違うけれど、しかしどう形容したら適切なのか、ちょっと分からないような。


花森安治には、戦中は大政翼賛会に所属し、「ぜいたくは敵だ」などの宣伝コピーを考案、しかもこのコピーには、一文字「素」を入れた途端に「ぜいたくは素敵だ」になるという裏の意図が隠してあったという伝説があります。
これにしたところで、およそ「伝説」だし、ぼくは典拠を知らないので責任を持ったことがいえないのですが、もし事実だとしたら、そこには体制に諧謔で対抗しようという、退却的でシニカルなカウンターに留まらない、もうちょっと複雑なものがあったように思います。


なぜなら、戦後の「暮しの手帖」には、「ぜいたくは素/敵だ」というメッセージが常に流れているように思えたのですね。ぜいたくは「敵」であると同時に「素敵」なことは,いい意味で「ぜいたく」だ、という。
単に華美なだけであったり、とかく品性のない「ぜいたく」は退けるが、簡素なもののなかから見出されつむぎだされるような「素敵なもの」は、やはり生活を豊かなものにするという意味で「ぜいたく」であるという美意識のあらわれだ、という解釈です。


それは、どこかいじましいものではあるのですが、生活のすべてを「この私」の趣味で美しく覆いつくしましょう、という欲望に貫かれているようにも思えます。一般に「暮しの手帖」は、とても啓蒙的なものとされており、実際に影響も大きかったとは思うのですが、やはりそれを超えて、花森安治というひとの美意識は過剰だし、でかかったのではないかと思いました。
いや、だって、あれは真似できないですよ。実際のところ。


先にも書きましたが、ぼくにとって「暮しの手帖」的なものというのは、まさに自分史上の「昭和」なんですね。これは正直に白状しておきますが、もちろん、そこには郷愁めいた感情もあります。
実際には「暮しの手帖」誌の最盛期は、ぼくがリアルタイムに読むようになるよりも前(なんせ、花森安治はぼくが小6の年、1978年に亡くなっています)ですし、「暮しの手帖」にもし「かつてあった古きよき昭和」を見出すのだとしたら、まさに昭和30年代のものになるのだとおもいます。


しかし、それは「三丁目の夕日」的なノスタルジーには含まれてこない。
暮しの手帖」が最盛期には80万部を超す発行部数を誇り「国民雑誌」とまで称されているのにも関わらず、です。
参考:http://book.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high53.html
暮しの手帖」的なものの持つ品のよさや、よくも悪くも山の手中産階級的な教養志向がそうさせているのかもしれません(昭和40年代に、自宅でタンドリーチキンを焼いたり、ナンを焼いてみたりするお父さんの投稿が載る雑誌でしたから。そんなヤツいるかよ! と大学のころやはり「てちょらー」だった友達にいったら、「いや、ウチはそういう家庭でした」といわれたことがあった)。今日の展示を見ていても、よくもまあ、こんなに上品かつピーキーなものが大部数出ていたものだ、と思ったものです。
なんというか、「暮しの手帖」を支えていたのは、実は「庶民」とは違った心性だったんじゃ? ということですね。まあ「庶民」の定義にもよりますけど。


暮しの手帖」が、その後の日本のサブカルチャーに与えた影響については、またじっくり考えてみようと思います。少なくとも、赤田祐一さん時代の「クイック・ジャパン」のレイアウトの一部や、岡田斗司夫『20世紀の最後の夜に』には、かなり直接的に「暮しの手帖」の影響が見出せると思うのですが。とくに『20世紀〜』のレイアウトや文章の調子は、まるで花森安治一銭五厘の旗」のようです。


なんだかまとまりませんが、とりあえず。