書店で初遭遇+たけくまメモで紹介、表紙原画。

今日、はじめて拙著が書店に並んでいるのを見てきました。場所は吉祥寺・BOOKSルーエ。なんと夏目房之介さんの新刊『マンガは今どうなっておるのか?』の左隣に面だしで! ヒョエー怖れ多い、と思いつつなんだか悪いことをしているような気がしてきて(それこそ、万引きでもしたみたい……って私は生涯一度も万引きをしたことのないよいこなので、その心理は知りませんがw)、早々に立ち去りました。


竹熊健太郎さんのブログ、たけくまメモでご紹介をいただきました。なんと "伊藤剛テヅカ・イズ・デッド』を読む" 三回連載。速球で返球をいただいた格好です。


http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_8459.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/post_16da.html


そして「たけくまメモ」効果か、本日夕刻、一瞬アマゾンランキングで100以内に入りました。最高位91位です。ホントに一瞬のことではありましたが、わが目を疑いました。
さてその「たけくまメモ」では、単なる紹介に留まらず、竹熊さんの問題意識に引きつけた文章が書かれています。おおまかには第一回・第二回が「マンガはつまらなくなった」という気分と「手塚神話」をめぐる話題で、これからアップされる第三回は「萌え」をめぐる話題になってくると思います。
この本では、もちろん「萌え」を扱っていますが、それを戦前からのマンガ表現史との接続でとらえなおそうとしています。逆にいえば、「萌え」という現象が起きてきたこと(≒マンガの「解体」、ぼくの言葉でいえば「キャラの自律化」)を手がかりに、マンガ表現史を見通すことを試みたわけです。これまで従来のマンガ論・批評が「表現史」を書き得なかったことを考え合わせれば、帯の推薦文に東浩紀さんからいただいたように、本書の議論は「萌えから生まれた」ものでもあるわけです。


もちろん、何も「萌え」という現象をマンガ史のなかで特権化するつもりはない(特異点としては扱いうると思いますが)のですが、確かにこの本の重要な要素ではあります。また、この本がそれだけレンジの広い議論をしているため、読まれた方の感想が、世代により、またマンガとの関わりにより違ってくるようであるのも、興味深い点だと思います。


というわけで、「萌え」を大きなキー概念としていることをあらわすものとして、表紙イラストの原画を公開します。本では、かなり全体のトーンを落としていて、現物ではよくわかるのですが、ウェブの小さい画像ではいまいちよく見えないので、「こんな絵なんですよ」ということで掲載してみます。





イラストはnull500こと和田洋介さんにお願いしました。みっつのキャラ絵を合成して作ったものです。うちのひとつは「60年代前半手塚の、"手塚ぷに"*1を入れてください」という無理難題に答えていただいたものです。大胆なリミックスの結果、なにか「キャラそのもの」を想像させる不穏なものとなっていると思います。予想を上回るカッコいいジャケに仕上げてくださり、本当に感謝感激です。

*1:もちろんそんな言葉はナイが、手塚に特有の「ぷに絵」ってのはあると思う。