手塚治虫文化賞受賞パーティに行ってきました。

PLUTO (2) (ビッグコミックス)とはいっても授賞式そのものには都合で行けず、『PLUTO』組のパーティです。
手塚治虫文化賞では、授賞式のあと各受賞者ごとにパーティを開くのが通例になっているようですが、選考委員を含めた「マンガ評論家」スジは、その各パーティに分かれて流れるのだそうです。夏目房之介さん(ブログに授賞式に行って来ました、という記述がありますね。http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003488.html)によると、呉智英さんや村上知彦さんらは、こうの史代さんのほうに流れたんじゃないかということでした。


PLUTO』組のパーティに来ていたのは、夏目さんをはじめ、藤本由香里さん、ヤマダトモコさん、マット・ソーンさん。ぼくは「評論家」ですが、「元アシスタント」でもあるので、立場が二重です(笑)。マンガ家の星野泰視さんほか元アシ仲間と久しぶりに会えたのはとても嬉しかったのですが、それはさておき。




パーティは盛況でした。
浦沢直樹筋だけでなく、手塚プロ筋などさまざまな人が来ていたようです。とても華やかな雰囲気で、いままでに出た浦沢関係のパーティとは空気の違うものに感じられました。作家としてのポジションの変化のためでしょうか。名実ともに「ここ」が日本マンガの頂点に位置するんだなと思わせるに足るものがありました。


どうも、歯切れの悪い文章になっていますが、それはこの授賞に手放しで喜べないものがあるからです。
いうまでもなく、今回の授賞は早すぎないかという疑念です。この疑念は、多くのひとが抱いているものでしょう。どうも、納得がいかない。パーティでの浦沢先生のスピーチでも「これは”企画賞”じゃないのかと思いましたが、それでは嫌なので、今後、作品を充実させることで”企画賞”ではないということを見せていきます」といった意味のことが語られていました。授賞は喜ばしいが、しかし多少の困惑もあるといったところでしょうか。自然な感想だと思います。


第九回手塚治虫文化賞選考過程
http://www.asahi.com/tezuka/senkou05.html


こうして気分のよくない文章をくだくだしく書き連ねているのも、もとより授賞を素直に祝えないからなんですが、そもそも、この「早すぎる授賞」(しかも二回目)の背景に、選考委員たちは、本当に「いまの」マンガを読んでいるのか?という疑念が消せないからなんですね。顔ぶれをみるかぎり、実に不安になります。


各受賞作がすぐれた作品であることには異論はありません。しかし、いま、ノミネートがこのラインナップになってしまっていることには、かなり問題があるんじゃないか。つまり、ある世代以上の「マンガ読者」である選考委員たちの視界に入っていた作品だけが対象になったのではないかということです。だいいち、この社外選考委員のなかには、「もう、今のマンガは読めなくてさ」という発言をされていた方もいた筈です。
夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)また誰かがブログで書いていた(更科修一郎 id:cuteplus くん?)、「原爆など、旧来からのマンガ評論家にとってとっつきやすい題材を持ってこないと、いまの新しい作家は読んでももらえない」ということも、このラインナップには表れていたと思います。これは『夕凪の街』という作品の評価とは、また違った話です。そう見えてしまうことの不幸といったほうがいいでしょう。もちろん、その「不幸」とは、当の作者にとっての「不幸」だと思います。
PLUTO』にしても同じことです。ようは、彼らが共通して「読める」のが『PLUTO』くらいしかなかったから、仕方なくこれにしたのではないかということです。
呉智英関川夏央が推したのが近藤ようこの旧作『水鏡綺譚』であったことも、この疑念を強いものにしています。この作品はとてもいい作品で、ぼくも大好きなのですが(未読の読者には強くお薦めします)、「いま」の作品としてこれをあえて推す勇気は、ぼくにはありません。80年代末に初出の作品が、昨年に書き下ろし加筆という形で完結したものですが、では何をもって「今年、顕彰すべき」とするかという根拠が分かりません。なぜなら、作品が完結した経緯からいっても、本作が現在の「マンガ」という表現ジャンル総体とは切り離された位置にいることは明白だからです。近藤ようこが、そうした「孤高」ともいえる位置にいて、変わらず佳品を発表し続けることを顕彰しようというのならば、まだ分かります。しかし、それは「大賞」という主旨にはそぐわないのではないでしょうか。
やはり、「知っている作品を苦し紛れに推しただけ」という疑問は拭えません。


つまり、問題は「賞」の運営にある。いくらノミネート作品を一般公募したところで、いま50代以上の「私はマンガを読んできた」という自負だけはある人々にとって「読める」ものでなければ「賞」にエントリーする前にフィルタリングされ、棄却され、顧みられないという構図があるということです。
なぜ、このようなことになるのか。この事態は、おそらく選考委員だけの否ではなく、日本のマンガ言説が抱える構造的な問題ということができるでしょう。そして、それはひとり「マンガ評論家」のダメさ加減に留まるものではなく、マンガ業界全体に関わる問題だと思います。


そもそも選考委員のコメントの貧しさを見てください この賞は表現のレヴェルで優れた仕事を顕彰するものではないのですか? 「表現のレヴェルで」というのは、おおざっぱには作品が「何を」描いているかではなく、「どう」描いているかを見るという意味です。
たしかに、短いコメントでは何もいえないという事情があるのは分かります。また表現のレヴェルでの評価がいちおう志向されているのは、何となくわかる。しかし、それが「素のファンの感想」に見えるという現状は、やはり問題ではないのですか。わざわざ「評論家」や「学者」を肩書きに持つひとを「社外選考委員」に置いているからには、彼らはマンガについての「識者」であるはずです。しかし、彼らにはまるで「素のファン語り」程度のものしか許されていないように見える。


つまり、ここでの「問題」とは、「表現としてのマンガ」を評価する方法も、語彙もないということに行き着きます。だから「ファン」としての「読み」、「まんが世代」としての「読み」を根拠にするしかない。これでは現在のマンガの表現としての多様性に対応できる筈がない。「素のファン」ならそれでも構いません。「読み方」は自由です。しかし、選考委員は「識者」であるべきだし、せっかく作ったのだから、「賞」は「健全な権威」として機能するべきです。けれど、それを実現する方法を、少なくとも現在の社外選考委員たちが持っているとは考えにくいのが現状です。




マンガ研究者の宮本大人さんが、奇しくも今日づけの日記にこう書いています。


id:hrhtm1970:20050608:1118161468

今の日本のマンガ論の最良の水準は、こうしたブロガーの方たちによって支えられている部分が大きいなあと思います。それなりに名の知られたプロのマンガ評論家の方々と言えども、少なくとも今の仕事で比べると、すでに彼らによって抜かれてしまっている側面がある。まして大学の教員やら院生でマンガの研究をしていると称する人たちの書くものといったら、大半は惨憺たるものです。



本当に、こうした事態になっている。
昨日、パーティに行く前に某大新聞の記者氏と打ち合わせをしたのですが、そこでも「たとえば、横山光輝さんが亡くなったとき、コメントを求める相手をいまだに米沢嘉博さんしか思いつけない新聞記者って、やっぱり怠慢だったと思うんですよ」といっていました。彼のこの発言は、やはり旧来的なマンガ評論家が、「いま」のマンガを見ることもなく、たとえ見ていてもきちんと捉えることができないという認識を前提とするものです。
あるいは、先日の「BSマンガ夜話」で『鋼の錬金術師』を取り上げた際、いしかわじゅんが「演出上の理由で人を死なせることが、ゲーム的な軽い生命観を示している」といった意味の発言をして、岡田斗司夫に突っ込まれるという局面があったそうですが(ぼくはBSに加入していないので見ることができません)、そのことを思い起こしてもいいでしょう。そもそも手塚にも白土三平にも、そうした批判はあったわけです。つまり、過去のものについては免罪され、いまのものは「問題」として捉えられていた。


整理すると、いまメディアで発言する場所を得ている論者たちの加齢による限界に加え、表現として「マンガ」をみるという枠組みがないことが、現在の混迷を招いているということです。もちろん、少しずつ変化はあります。ブログはそのひとつのあらわれです。
一方、この「枠組みの欠落」の根っこは、70年代に生まれたマンガ読者の共同性を担保とする言説に求められるでしょう。それを端的に表しているのが、米沢嘉博村上知彦らに代表される「ぼくら語り」言説です。これは、「まんがとは、ぼくらのことである」「あろうことか、ぼくらはマンガとセックスしていたのである」などの物言いによって象徴されるもので、「同じくマンガを読む」人々はすべて仲間、といった幻想に支えられているものです。


その「共同体」の内部では、個々人の「読み」の差異は意識に極力登らないようにされる。それが必需となる。逆にいえば、個々人の「読み」がそれぞれ異なっていることを意識させるような物言いは禁忌となる。「私はこう思うけど、あなたはどう?」とか「そうか、自分とは違うこういう考え方、読み方もあるのか」と思わせるような言説はしてはいけないことになる。なぜなら、「まんがを読むぼくら」の一体性が言説を成立させているから。
加えて、70年代の「ぼくら語り」運動には、それ以前のマンガ評論へのカウンターという側面があり、それまでになされた仕事(たとえば、石子順造斎藤次郎など)の蓄積は捨てられてしまいました。また「ぼくら語り」運動の内部にだって「マンガを表現としてみる」枠組みの萌芽はいくつもありました。しかし、それらは全て放棄されてしまったのです。かくして、マンガを「表現」として評価する方法や語彙を持とうという営みは、70年代後半から80年代前半にかけて流産してしまいました。


このようにして、マンガを「表現」として評価する枠組みは「必要ないもの」として退けられることとなります。あるいは「一般の読者の読解」(と論者が考える)を超えるものは、してはならないという規範ができてしまう。いってみれば、知的な「武装解除」がなされたということです。そして、そのことはすぐさま知的な怠慢を許してしまいます。できることといえば、口当たりのよい「自分語り」エッセイか、あらすじ紹介的な簡単なレビューの集積か、無邪気なファン語りか、網羅的な書誌データの蓄積か、のいずれかになります。これらであれば、読者共同体の内部の差異を意識させることがないからです。しかし、当然のことながら、これはとても退屈なものです。


言い方をかえれば、マンガに限ってはマンガ評論を「専門」とする人々の言説であればあるほど、(彼らが「一般の」と考えている)読者の最低レヴェルに近いものになる。つまり、それは語り口やアカデミックにみえる方法による粉飾は別にして、「批評」としての強度をいちぢるしく欠いたものになる。よって、信用されないという事態が続いてきたのです。これは、本当に構造的なことなのです。




一方、ぼくは、日本のマンガは「表現として」優れたものがヒットするという幸せな状況に(少なくともここ五年間は)あると思っています。ただ、それがあまり言語化されておらず、かてて加えて活字化もされないため、いまマンガ編集部のデスク以上のひとや評論家たちに届いていないのだと考えています。結果、編集者たちにも「もう何をしていいか分からない」という空気が蔓延し、過去のコンテンツに頼る「手堅い」企画が溢れています。


こうした現状は、70年代のツケをいまの私たちが払わされているということではないのでしょうか。