人権擁護法案について(デスノート風)FLASH

http://nzm-gm.com/zinkenyoug.html


人権擁護法案」がいかに危険なものであるかは、すでに知っているひとは知っていると思うが、まだ知らないひとは、まずリンク先のフラッシュを見てほしい。
ようは、警察よりも強い権限をもち、しかも歯止めのない機関が「これは人権を侵害している、差別である」と認証した言論を一方的に取り締まることができるというものだ。さらに、新聞などのマスコミは適用を除外し、ブログのようなウェブ世論を対象としようという動きがある。このあたりを「落としどころ」にしようということだ。
参考:http://blog.livedoor.jp/no_gestapo/




現在でも、40代なかば以上の世代を中心に、「ウェブは一部の特殊なひとのもの」という認識は根強くあるし、またそれはないにしても、ウェブでの言論のとらえかたが酷く貧弱なことはままある。
少し話が脇にずれるけれど、知人からこの日記を「おおっぴらに見せてるものじゃないんでしょ?」といわれて驚いたことがある。いや、カウンターとか見てくださいよと思ったのだが、そのひとにとっては、自分が自分の知り合いの日記を見ているだけという認識を出なかったのだ。ことほどさように、ウェブでの言説空間を正しく認識できる想像力をもつことは難しい。たとえばブログが炎上したりしたとき「一部の勢力が扇動しているに違いない」などという頓珍漢な対応が出てきてしまうのも、同様の錯覚に基づくものだろう。


なにがいいたいかといえば、「マスコミの報道が保証されているんなら、それでいいじゃない」という意見のひとが、案外多いんじゃないかということだ。しかし、フィギュア萌え族といった大谷昭宏はセーフで、大谷を批判したウェブ言論はダメ、という図式だって考えられる。「フィギュア萌え族」が酷い「差別発言」だというのはいうまでもないが、だからといって、「言葉狩り」をする必要もないし、また大谷氏を処罰する必要もない。


ぼくにとって身近な話題を例にとったが、しかし、これひとつとってみてもいかに問題のある法案であるかがわかる。話がもっとシリアスな差別事象になれば、事態はもっと深刻になる。この法案のとおりなら、「被差別者」「弱者」と認定された者があまりに恣意的で強大な権力を持ってしまうからだ。


たとえばぼく自身は、かなり理解されにくい種類の難病の患者だ。
当然のことながら、病気に対して差別的なことをいわれたり、中傷の道具にされたら腹が立つ(それをした相手を軽蔑もする)。けれど、強権をもって相手を処罰する権利を得ようとは思わない。また、それを可能にする機関や回路も必要ない。なぜなら、それによって自分と社会との関係が荒むのが目に見えているからだ。それはそれで嫌な事態だ。強すぎる権力は何も生まないし、有害だと思う。人権侵害に対する「救済」にもならないのではないか。そして、たぶん「差別」の解消に何の役も立たない。


それにしても、こんな無茶苦茶な法案は、どのような経緯で、誰の意図で、何を目指して作られたのか。そこにどんな利権が存在しているのか。そういったところから見ていかないといけないと思う。




ところでリンク先の「デスノ風」FLASHなんだが、Lとライト君とミサミサの会話で法案の問題点についての会話がされているというものだ。わかりやすくていいんだけど、見るまえにはヨツバキラの会議が、そのまま「人権委員会」(独断で人権侵害の認定、捜査、証拠品の提出要請などができる。委員会の勧告を拒否した場合は処罰される)になっている、デスノコラ風のものかと思っていた。ヨツバキラのあの会議で、「じゃーこいつは人権侵害だな」とか適当に決めてるってやつ。


でもホント、この法案ってまじでデスノートだよ。